
大衆作品より内省的作品、私小説を好む理由
エッセイ
今、映画「国宝」が空前の大ヒットを記録しています。興行収入が100億円間近とのことで、上映中の席はほぼ満席に近いです。
映画「国宝」について、私はまだ観てないため、その前評判から鑑賞しようか考えましたが、結局やめました。
なぜ鑑賞しないことを選んだか、自分なりに考えてみると、それは「感動モノ」だからという結論に至りました。
※「国宝」を否定するものではなく、鑑賞したら想像以上に感動する可能性もあります。
感動モノ作品、大衆作品は、その作品の意図を受け手にはっきり伝えようとする傾向があり、それがどうも苦手です。
受け手を感動させよう、驚かせよう、悲しませようなどの見え透いた送り手の意図が苦手です。
好きな作品のタイプ
一方で好きな作品のタイプは、表現者が表現者自身に問いかけるような内省的な作品。または作者自身の経験や心情を、作者自身を主人公として描いた私小説です。
つまり、送り手は意図的なメッセージを受け手に送るものではなく、むしろ伝えているのか、いないのか不明な作品が好みで、そうすると否が応でも受け手は送り手のことを知ろうと歩み寄ろうとします。
「なぜそのような表現をしたのか。意図は何か」「悲しみ、喜びの心情の深さは、程度は」など、読み取るための努力を、時には自身の経験に照らし合わせてしようとします。
その行為が私は好きであると。
そこには必然と明瞭な答えはなく、三者三様の解釈が存在していて、それも好みです。
ミスチルのアルバムで例えると、「SUPERMARKET FANTASY」より「深海」「miss you」でしょうか。