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愛犬と過ごして気付いた7つの大切なこと

愛犬と過ごして気付いた7つの大切なこと

エッセイ

愛犬と生活を共にして10年が経ちました。
僕にとって犬を飼い始めたのは初めてで、飼う前は、犬と生活するとどういう感情を抱くのか、あるいは最期まで責任を持って飼い続けれられるかなどの不安を持っていましたが、実際に飼っていくなかで、その不安は徐々に薄れていきます。
さらに愛犬から教えられることが多々あり、自分の人生観、価値観に大いに影響を受けました。
そこで、愛犬と生活して気付かされた、あるいは気付いたことを7つまとめてみました。

今を一生懸命に生きるということ

犬を含めた動物は、いつか自身が死ぬことを知っているのでしょうか。
あるいは「生」が一生続かないことを悟っているのでしょうか。
人間はどこか「生」に対して有限性を感じずに、同じ日、同じ時間が永遠に訪れると思い、結果として怠惰な生活を送ってはいないでしょうか。
その有限であることを感じるのは死に間際で、そこで後悔しても時すでに遅し。
一方で、愛犬はとにかく今を一生懸命に生きます。
食事を摂るとき、ボール遊びをするとき、散歩に出掛けるとき、テレビを観ているとき。
怠けている素振りは見せず、常に真剣な表情で一刻を送ります。

「今を生きる」を表した象徴的な出来事

愛犬は散歩することが大好きで、散歩に連れて行ってくれる飼い主に対しても感謝を表してるように感じます。
その散歩が終わると毎度浴室で足を洗い、タオルで拭きますが、肉球を触られることを極度に嫌がるためタオルで拭く時に、場合によっては怒ります。
先ほどまで楽しんでた散歩のことは忘れて、嫌なことされたら我慢ができません。その「今」は譲れないようです。

外気に触れることの大切さ

前述したとおり愛犬は散歩が大好きで、その理由のひとつとして嗅覚が人間の1万倍もあるからが挙げられます。
それを想像すると散歩はキラキラ輝いた、まさに楽園ではないでしょうか。
その嗅覚を人間が味わうことは不可能ですが、飼い主も散歩に毎日付き合っていると自然と外気に触れて、リフレッシュしていることに気付かされます。
近年では犬よりも猫を飼う人の割合が増え、その理由のひとつとして「散歩に行かなくて良い」が挙げられますが、一方で、犬を飼うと散歩して外気に触れることの大切さを味わうことが出来るのではないでしょうか。

尻尾で喜びを表現

犬は当然のことながら話せることが出来ないので、人間同士のようにコミュニケーションで意思の疎通を図ることができません。
そのことを愛犬自身も分かっているようで、何とか飼い主に意志を伝えようとする仕草をします。
それは例えば、飼い主の手を舐めたり、前足を飼い主に当てたりしますが、そんな仕草より感情を表してるのは尻尾の動きではないでしょうか。
尻尾を激しく振ったり、尻尾が直立しているときは嬉しさを表していて、一方で尻尾が垂れてるときは不安や怒りを表しています。
そこで面白いのが愛犬自身はその尻尾の仕草に気づいていない点で。その尻尾の仕草を飼い主が注意深く観察していることに気づいていない点です。
愛犬の感情は尻尾を見れば一目で分かる、より可愛さが増しますね。

外見を気にしない

人間は自身の外見を気にします。髪型、顔立ち、目、鼻、口、体型、身長。さらに洋服、靴、アクセサリーなど枚挙にいとまがありません。
愛犬は全く外見を気にしてないようです。毛並みやトリミング姿など、そしてリードも。
飼い主に対しても同様で、飼い主がどんな身だしなみをしていて、顔をしているのかは気にせずに「存在」してればそれだけで良いように感じます。
存在自体を愛する。
それ以上でもそれ以下でもないように感じます。

飼い主との散歩

愛犬は散歩が大好きなことは前述しました。
その理由として、外の様々な匂いに嗅ぐことができて、外気に触れられるからですが、その他に散歩中はリードをして、近い距離で飼い主と居られるからだとも感じます。
つまり、本来リードは行動に制限を与え、行動を縛る役割がありますが、犬にとっては飼い主との距離を空けない点で、却って喜ばれる道具なのかもしれません。
散歩中に時折、飼い主が近くにいることを確認して幸せを感じているのではないでしょうか。

飼い主と一緒にいることに1ミリも疑いを持たない

愛犬にとって飼い主という生活が当たり前で、それ以外の選択肢がないように思えます。
その一択に疑問を持たないし、それで幸せのように感じます。
人間同志だと関係性を見直す機会を設けますが、愛犬にはそれがない。
シンプルが故に人にとっては難しい行動のようにも感じます。

過ごした時を慈しむ

人間の親子関係では親より先に子供が死ぬことを1番の親不孝とされます。
犬と飼い主の関係では、飼い主は犬の死を見届けることが義務とされています。
動物を飼うからには最期まで見届ける。
犬が生まれて間もない頃から飼った場合は、一生を見届けることになります。
その最期を見届けることの辛さを想像しただけで胸がいっぱいになります。
普段、飼い主が家を離れるとき愛犬は「なんで私を置いてどこかに行ってしまうの!?」という悲しい目で玄関先の飼い主を見ますが、最期は飼い主を置いてどこかに行ってしまいます。

それでも一緒に過ごしたことは残る

犬を飼わない理由のひとつして、ペットロスを経験したくないからが挙げられます。
確かに今となってはその理由が理解できます。
でも飼ってしまった以上は経験せざるを得なく、そのときにどう心の整理をつけるべきかはまだ分かりません。
ただひとつ、一緒に生活をした事実は残り続けます。
愛犬を飼わなければ一緒に生活した幸せを感じることは出来なかったですし、犬から大切なことを教わることも出来なかったです。
その経験を味わうことが出来たことは亡くなった後でも残り続ける。それは忘れないでしょう。

最後に

いかがでしたでしょうか。
最後の章「過ごした時を慈しむ」を書いてるときに感極まってしまいました。
人は感受性が豊かで、知能があります。
それが「人は何のために生きる」選択肢を広げてるように感じます。
山、川、海、植物、動物、子供、親、パートナー、虫、空、仕事、同僚、友人など、何を慈しんで何を大切にして生きていくかは人それぞれで、価値に優劣はないように感じます。