
ザリガニの鳴くところ
ドラマ
この作品を見ると、何も人は人のためだけに生きるだけが全てではないと強く感じます。
主人公カイアは、幼いころから「湿地の娘」として差別を受け続けました。それが原因で元恋人の殺人容疑をかけられ、裁判にかけられることとなりましたが、十分なアリバイが存在し、結果として無罪を勝ち取りました。
そもそも湿地は自然界において非常に重要な役割を果たしています。それは「動植物の生息地としての役割」「水の浄化」「洪水制御」「炭素の吸収・貯蔵」など多岐に渡ります。
湿地の中で自然とともに生きるカイアは、人々からは差別の対象と見られていましたが、他の生物たちにとってはその存在が価値あるものであることが示されています。
それは人から与えられた価値だけが全てではないと。森、草木、動物、花、川、海といった自然界全体との関わりや、生態系の保全に貢献する行動も同様に価値があることを感じさせます。
そのように考えると、人間関係のみに捉われ、苦しむことや、最悪の場合自殺を考えるのは、視野が狭すぎるのではないかとも感じますが。一方で、徹底的に社会的な生き物である人間にとって自尊心が傷つくことから逃れたいという本能的な感情から致し方ないとも。
記憶はその状況下で呼び起こされるもの
もうひとつ、この作品を見て感じたことがあります。
それは最後のシーンで、カイアがボートに乗りながら、亡くなる直前の瞬間に幼少時代に亡くした母親の幻覚を見るという場面です。この場面は、幼少の頃に失った母親を、自身が死にゆくという同じような状況で思い出したことを示したのではないでしょうか。
記憶が特定の状況や刺激によって引き出されることを示唆していて、僕も人生の最期にすでに亡くなった親しい人や動物のことを思い出すのかな、と考えてしまいます。
もし、そのように思い出すことが「再会」のような感じになるならば、それは微笑ましいものではないでしょうか。
