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ミスチルアルバム「miss you」で50代が何をmissしたのか整理してみた

ミスチルアルバム「miss you」で50代が何をmissしたのか整理してみた

miss you

2023年10月に発売されたミスチル21枚目のアルバム「miss you」について、アルバム全体を通して伝えたいメッセージや、なぜアルバム名に「miss」を付けたかなど、個人の考察を交えて書きます。
そして突然ですが、このアルバムに感銘を受けるリスナーは極めて限られていると感じます。
それは例えば、ミスチルの今までの足跡を把握しているコアなリスナー。あるいはミスチルのメンバーとまさに同じ年代(50代)のリスナーは感銘を受けますが、一方で、10代、20代、またはアルバム「SUPERMARKET FANTASY」「シフクノオト」などのポップソングが好きなリスナーにとってはあまり刺さらない、いわば大衆向けというより、ミスチル個人による内省的なアルバムであると感じます。
アルバムに収録されている楽曲は、聴き手に向けたポップソングというより、内省的で、50代を迎えて芽生えた喪失や孤独、あるいは終末感。それらの出来事と感情を表現した歌詞と、その50代の質素な生活感を表すようなパワフルさ(元気さ)を欠如したサウンド、バンドアレンジは過去のミスチルのアルバムには類を見ない。さらに音数を極端に減らした作りとなっています。
その上で、アルバム「深海」を彷彿とさせる、収録されている楽曲の温度感が統一されたコンセプチャルアルバムとも位置づけられます。
その「深海」と大きく異なる点は、「名もなき詩」「マシンガンをぶっ放せ」で見られるような桜井さんの声を張り上げた魂の叫びがあまりない、むしろ普段の声色と変わらず一貫した声質で、声量さえ極力抑えている点です。
その実験的なアルバムを、プロデューサーを招聘せずに作り上げた21枚目のアルバム「miss you」は、今なお表現者としての野心がある点で、偉大であると感じます。
そんなアルバム「miss you」を聴いて、いちファンとして「これがミスチルだ!」と断言して欲しくなく、むしろミスチル史の振り幅の極端に位置するもので、ミスチルらしさとは異なる作品であると断言したいです。
そもそもアルバム「miss you」について、桜井さんはどのように捉えているのでしょうか。

桜井さんの「miss you」評

今までは期待されていることに応えるというか、こういうのを聴きたいだろうなとか、どこかそれを狙っていたり、コントロールしたりしていたが、今回はそれが全くないアルバムであるため、「Mr.Childrenとしての役割とかそういったものを全く背負っていない」

桜井さんの発言でも明らかなように、ミスチルが得意とする聴き手との距離感が近い、最大公約数を歌うポップソングとは一線を画しています。
仮にこのアルバムで「エソラ」や「PADDLE」のようなポップソングを求めているのなら、その楽曲を聴けば良いし、「終わりなき旅」「しるし」「I’ll be」のような多くの方が共感する壮大なメッセージソングを求めているなら、同様にその楽曲を聴けば良いのではないでしょうか。
長年コンスタントに楽曲を制作してきたからこそ、楽曲レパートリーは豊富で、各リスナーの状況に合わせた楽曲選択が細かい部分まで可能であるように感じます。
その点で、リスナー側の都合を考えず、ミスチルが奏でたい音楽そのままを表現したアルバムが「miss you」であり、桜井さんの意図であるように感じます。

何がmissなのか

新しいアルバム名が「miss you」と知った時、「何を失ったのか」と考えずにはいられなかったです。ネガティブワードをアルバム名に当てたことに驚きました。
その「you」に当てはまるものは愚直に「あなた」だけではない、それは「過去の自分」とも取れるし、「過去の自分」から見た「今の自分」とも取れます。そして、聴き手である「あなたたち」とも。さらに「時間の経過」も意味して、残り限られた時間を、その有限性を感じるメッセージが散りばめられているようです。
アルバムの楽曲の歌詞を通すと、あらゆる楽曲にその「miss」が表現されています。

アルバム楽曲の「miss」

「I MISS YOU」

1曲目「I MISS YOU」では、2曲目以降、あるいはアルバム全体のメッセージとなる「I miss you」を繰り返しています。
この1曲目が存在するとしないとでは、アルバム全体の聴こえ方が異なり、アルバムを聴く上ではスキップして聴くことはできないようです。
象徴的な歌詞は「誰に聴いて欲しくて こんな歌 歌ってる?」で、桜井さんの作曲作りは、ポッと浮かんだメロディから、あるいは鼻歌からそのメロディが訴えてるものを汲み取り、歌詞へと落とし込みます。
つまり、桜井さんご自身でも理解できないようなメロディを表現した歌詞で、なぜ「こんな歌」を歌うのか。その理由をアルバム2曲目以降に解析しているようです。

I miss you, I miss you, I miss you
繰り返すフレーズ
迷って試して信じて疑って
何が悲しくって
こんなん繰り返してる?
誰に聴いて欲しくて
こんな歌 歌ってる?

「Fifty's map ~おとなの地図」

「Fifty's map」という楽曲名は、尾崎豊さんの楽曲「十七歳の地図」に由来していて、桜井さん曰く「あのとき学生だった我々世代が、50歳ぐらいになったときに歌える曲」として命名されたとのこと。

バイクで闇蹴散らし
窓ガラス叩き割って
つまらぬルールを破壊しながら

これらの歌詞が尾崎豊さんの楽曲を彷彿とさせます。
そして、「孤独」「迷路で彷徨う」など、50代になり直面したことを歌っています。歳を重ねることで行き場のない局面に遭遇するなんて、10代のときには思ってもみなかったことでしょう。

どこにも逃げれない
そう過去にも未来にも
孤独の意味を知った友よ
同じ迷路で彷徨う友よ

「青いリンゴ」

3曲目「青いリンゴ」では直接的に「失った」と表現していて、「miss」を連想させます。

「生まれ変わったら見たい世界があるよ」と
仲間と笑って話した後
いやまだ間に合う気もすんだ
失ったものを悔やんでばかりいたって
意味がないぜって
歌ってた僕は今もいる

アルバム「miss you」がミスチル4人を中心に制作したことを知って聴くと、そのバンドアレンジがシンプルであることが想像できます。
その象徴として、1曲目「I MISS YOU」から3曲目「青いリンゴ」まで、まさにシンプルで。
あまりにも質素すぎて、この楽曲アレンジそのままに、アルバム全編まで通すのかと思ったほどですが、ミスチルが表現者たる所以が4曲目以降で発揮されます。いわゆる「青いリンゴ」までは起承転結の「起」にすぎないと。

「Are you sleeping well without me?」

楽曲名の「without me」は、私にとっては「without you」となります。
歌詞は「Are you sleeping well without me?」と問いかけてますが、それは私自身は「I can't sleep without you」と、あなた無しではよく眠れないと逆説的に唱えているようです。
つまり、分かりやすく「miss you」を表現した楽曲なります。
ちなみにこの「Are you sleeping well without me?」の歌詞が個人的には好きで、

明け方 エチュード弾きたくなって
幾度もレミレドで躓いて
スコアを睨んで指で辿る
繰り返し 間違って

ピアノを弾こうと思ったが「レミレド」が上手く弾けない。
そして、次の歌詞では、

ニュース見ながら考え事
コーヒーカップが口を逸れて
気に入りのシャツに溢れ落ちた
汚して 拭きとって

考え事をしながらコーヒーを飲もうとしたらシャツにこぼしてしまった。
新しい日々はそんな感じで、君は「Are you sleeping well without me?」と問いかける。
この歌詞の構成が普通ではないと感じました。ピアノが上手く弾けず、コーヒーをこぼしてしまって、君はよく眠れてる?と。
この歌詞の構成は一般人では思いつかず秀逸であると感じます。

「LOST」

「LOST」も楽曲名から直接的に「喪失」「miss」を連想させます。さらに冒頭の歌詞で、外見的な老いについて歌います。

「くたびれた顔してるな」って
顔を洗う度思うんだ
鏡なんて無くて良いや
こんな自分を もう見たくない

ところで、アルバム「miss you」を聴くと、改めてミスチルの音楽センスを感じます。

  • メロディに限らず、全ての楽器のフレーズを口ずさめる。特に田原さんのギターフレーズは楽曲の第二のメロディとして、またはカウンターメロディとして無くてはならない
  • 休符を使って、メリハリを付けたバンドアレンジ
  • 少ないコード数で楽曲を構成している

この「LOST」では、「休符を使って、メリハリを付けたバンドアレンジ」が個人的に特に好みです。
2番のサビが終わり、「尖った分 その痛みが」の部分で演奏楽器がピアノだけになり、「仕事終わりに飲むビールと」で演奏楽器が元に戻り、「それだけで良い それだけで良い」の後にまた休符となり溜めを作って最後のサビを迎える。
この楽曲構成をメンバー間の意見が食い違うことなく(おそらく)組めることが、解散もせず長年活動できる要因のひとつではないでしょうか。
そして、「LOST」に限らず、アルバム「miss you」に収録されている楽曲は、「少ないコード数で楽曲を構成している」ように感じます。
絶対音感、相対音感がないので事実とは反するかもしれないですが、コード数が少ないように聴こえて、そのコードを駆使して楽曲を構成してるようです。

「雨の日のパレード」

「miss」を直接的に表現はしていないですが、桜井さんの歌詞に「オッサン」という言葉が登場して驚きます。ミスチルといえばいつまでも青々しさを歌詞に込めている印象がありますが、「オッサン」という言葉はまさしく時間の経過を感じさせます。

悲惨な別れも
いがみ合って消えてった恋も
どこかのオッサンの青春のように
美談色に染まるさ

さらに、良き想い出を溜め込もうとする意志が、残された人生のささやかな喜びのひとつのように感じます。
アルバムの楽曲のなかでは珍しく、時間の経過を美談として受け止めていて、「LOST」「Party is over」「We have no time」などの時間の経過で生じる負の要素とは正反対に位置する楽曲となっています。
この振り幅がアルバムに深みを与えてるようです。

見上げれば rainbow
今日も笑ってる映像
メモリいっぱい貯め込んでく

「Party is over」

「over」が「miss」を連想させる表現で、次の楽曲「We have no time」を含めて過ぎ去った時間の儚さを表現しています。
そのなかで「Party is over」は才能が枯渇したことを表現して、この後どう生きようと嘆いてるようです。

過去に拘って
現在を怠って
死んでいくなんて 愚か者の愚行

桜井さんが他の表現者として明らかに違うのは、自身の過去の才能を認め、それが枯れてきていることも認めている点ではないでしょうか。
アルバム「重力と呼吸」の最後の楽曲「皮膚呼吸」でも過去の自分の才能に対して(?)、恨めしいと歌っています。

意味もなく走ってた
いつだって必死だったな
昔の僕を恨めしく懐かしくも思う

いちファンとしては、才能が枯渇したと感じていませんが。一方で、「innocent world」「名もなき詩」「NOT FOUND」を歌った喉は過去のものであることは感じます。桜井さんのメロディを聴いてると、メロディを奏でているのは桜井さんの脳ではなく喉であると感じます。

胸に手を当てれば
暖かな炎を 感じるのに

「でも party is over」とは、何ともやり切れなさを感じてしまいます。

「We have no time」

人生の折り返し地点を迎えると、途端に時間の有限性を感じざるを得ません。
「やり直すにはwe have no time」ですが、「まだまだいけんじゃない」とポジティブに前へ進もうとしている点が、前曲「Party is over」とは異なります。

やり直すには we have no time
守る気持ちも 沸き起こっちゃう
だけどスキルは 尚も健在
まだまだいけんじゃない?
とか思っちゃう

「Party is over」では暖かな炎を感じて前へ進もうとしますが、「でも party is over」と意気消沈する歌詞とは正反対で、「まだまだいけんじゃない」と括る点が面白いです。
さらに、そのポジティブさと軽快さをブルース調のコード進行とギターフレーズで表現しているところが、アルバム「Q」に収録されている「十二月のセントラルパークブルース」を彷彿とさせます。
同じ状況をどのように捉えるか、まさしく捉え方次第であることを2曲を例に歌っているようです。

異質な名曲「ケモノミチ」

起承転結の「承」が4曲目「Are you sleeping well without me?」から9曲目「We have no time」なら、「転」は「ケモノミチ」ではないでしょうか。
この「ケモノミチ」は、ロンドンでレコーディングしたアルバム「SOUNDTRACKS」で弦楽器をアレンジしたサイモン・ヘイルが担当されています。ストリングスが特徴的な楽曲で、歌詞も9曲目までのどこか弱々しい人物から決意表明を歌う人物へと変貌を遂げます。

君にlove songを送ろう
月に爪弾いた 孤独のメロディ
その耳にだけ残るように
声もなく 歌う

そして、meet you

起承転結の「転」が「ケモノミチ」なら、「結」はその後の「黄昏と積み木」「deja-vu」「おはよう」ではないでしょうか。
特に「黄昏と積み木」はイントロがなく、桜井さんの歌声とエレピ、そして田原さんのギターが聴こえた瞬間、「これぞミスチル!」と感じた方が多いのではないでしょうか。
桜井さんのメロディと田原さんのカウンターメロディの掛け合いはポップソングそのもので、前曲までの内省的で陰鬱な曲調から劇的な変化を遂げます。
さらにそれらの3曲の歌詞の特徴として、「miss」から、見つけた、出会えたことにフォーカスを当てている点です。まるで「find you」「meet you」とアルバム名が変わったようです。

「黄昏と積み木」

かくれんぼのように
上手に見つけるよ
君さえ気付かないでいる
君の素敵なところを

「deja-vu」

迷子の子のように
僕は泣きそうだよ
あぁ僕なんかを見つけてくれてありがとう

「おはよう」

おはよう
これからはいつだって君がいる
今日もきっと良い日だ

アルバムを通して、喪失感、孤独、老い、過ぎゆく時間の残酷さを「miss」というキーワードで表現することで、逆説的に目の前にあるかけがえのない大切な人を表現した、ストーリー性をリスナーに与えてくれます。

最後に

いかがでしたでしょうか。
ミュージシャンとして各々の楽曲が持つ独自の世界観を表現した側面と、アーティストとしてアルバム全体を通して伝えたいメッセージを表現した側面の両面を担ったコンセプチャルアルバムであると改めて感じます。
さらに50代等身大の感情を表現された点で、必ずしも大衆に向けられたアルバムではないですが、誰しもがいずれ通過する出来事やそのときの感情を表現された点で、ミスチル史のなかでも異質なアルバムであると感じます。
個人的には音楽的にもアルバム全体を通したメッセージとしても好みのアルバムで、これからも聴き続けるだろうと思います。